小さな川、大きな川、そこにかかる大小の橋。
街を歩きながら、何度、橋を渡っただろう。
何度、水流を眺めただろう。
郡上八幡博覧館では、古くから水と共に暮らしていた人々の様子が紹介されていた。
街へと引いた用水の使い方には、厳しいルールが設けられていたそうだ。
水と親しむ街の人々は、水を使う知恵も持っていたことがうかがえた。
それだけでなく、水と戯れ、水と遊ぶ楽しみも存分に持っていただろう。
街中のいたる所にある水舟で、いつでも水が飲める。
自動販売機で水を買うことが当たり前になったこの時代に、なんと豊かなことだろうと感じる。
私たちの生活と、私たちの命は、水とは切っても切り離せない。
生命線とも言える水が、これだけ豊かに在ることが、心をも豊かにする。
そして、もともと居た場所に帰って来たような、どこか懐かしい気持ちにすらなる。
よくしてくれた食事処のおばさまが、「また来てね」と言った。
でも、また帰って来るね、という気持ちになる。
鮭は、懐かしい匂いを頼りに、自らが生まれた川をのぼっていくらしい。
魚はどうか分からないが、人間にとって匂いは、
五感の中で唯一、脳の本能的で原始的な部分と直結していると聞いたことがある。
私がこの街に感じた懐かしさも、本能的な感覚のような気がする。
都会から移住してきた方も多いようだが、似たような感覚を感じた人も居るのかもしれない。
ありがとう、郡上八幡。
どの季節の郡上八幡も味わいたいから、また帰って来るね。