田口ランディさんの著書で郡上八幡を知る
郡上八幡は水と踊りの街として知られる、岐阜県にある街だ。
この街の存在を知ったのは、もう15年くらい前になるだろうか。
田口ランディさんの著書『聖地巡礼』の中で紹介されていたと記憶している。
・・・が、改めて『聖地巡礼』をネットで調べてみると、目次の中にそれらしき項目がないので、もしかしたら別の本かもしれない。
本の詳しい内容はすっかり忘れてしまったが、沢山のカラー写真と共にいくつかの街が紹介されていた。
その中で、郡上八幡について書かれた文章や写真が心に強く残り、
「いつか訪れたい」と思ったことだけを覚えている。
以来、ずっと頭の中にあった地名だった。
時を同じくして、これもまた15年ほど前、屋久島を訪れた。
旅の参考にしようと、屋久島にまつわる本を探していたが、その時も田口ランディさんの著書に行き着いていた。
『癒しの森 ひかりのあめふるしま屋久島』という本だった。
しかし、彼女の著書に出会ったのは、この時が初めてではなかった。
最初の出会いは、さらに遡ること数年、彼女の小説家としてのデビュー作『コンセント』だった。
2000年に出版されている。出版されてから、もう20年が経つことに驚く。
『コンセント』は、恐らくデビューと同時くらいに、書店で購入して読んだと思う。
文章と内容に衝撃を受け、彼女の名前はすっかり私の頭に刻み込まれてしまった。
以来、いくつか著書を読ませていただいている。
『コンセント』の続編となった『アンテナ』『モザイク』も買って読んだことを覚えているし、
その後、手に取ったのが『聖地巡礼』や『癒しの森 ひかりのあめふるしま屋久島』であった。
他にも、『忘れないよ!ヴェトナム』などの旅行記や、エッセイなどもいくつか読ませていただいた。
なぜか、私は彼女から強く影響を受けてしまうのだ。
2006年の屋久島の旅
ちゃんと調べてみたら、屋久島を訪れたのは、2006年だった。
ハイシーズンを過ぎた11月上旬、地元の人にとっては寒い季節のようだったが、
私にとってはまだまだ暖かく、川でカヤックにも乗れたほどだった。
黒味岳にも登り、もののけ姫で有名な白谷雲水峡も訪ね、滝も温泉も楽しみ、大満喫の初一人旅だったことを覚えている。
ただ、そうした観光以上に何か感じるものがあった。
「一年365日のうち366日雨が降る」と言われるほどの降水量、
樹齢数千年の屋久杉、島内の様々な場所にある川や滝、
そして、九州地方の標高上位の山がほぼあるという屋久島。
小さな島でありながら、海沿いの浜と島中心部の山々との高低差が激しい。
島に降り注ぐ雨が、山々の土から染み出して、時に滝となり、川へと流れていく。
海へと流れ出て海水となった水は、また雲となって雨を降らし、この島に水をもたらす。
どこを歩いても、目に見える地表に、あるいは見えない地中に、
豊かな水流と、巡る水の流れを感じて、「島が生きている!」と思った。
自然の恵みが溢れる島だった。
このことを感じられたのは、きっと彼女の著書を読んでいたからだろうと思う。
今年の年末、郡上八幡へ行こうと思い立った
郡上八幡へ行ってみたいと思った時期は、屋久島を訪れた頃とちょうど重なっている。
あれから10年以上も経つというのに、行きたい気持ちは変わることはなかった。
時折、更新する行きたい場所リストに、「郡上八幡」の地名は残り続けた。
国内なのだし、いつだって行こうと思えば行けたはずなのに、ずっと後回しになっていた。
なぜか、すぐに訪れる気持ちにはならない地だった。
それなのに、不思議と、今年の年末、行ってみようと思い立った。
この感覚は何かに似ていた。
辿っていったら、ふと思い出されたのは、幼い頃のことだった。
日が暮れてから遊んでいると、親から「時計の長い針が6のところになったら、お風呂に入るのよ」などと言われていた情景だ。
遊びながら、どこかで時計の針が気になり、そして針がその時を指すと、「さあ、お風呂の時間だよ」と声がかかる。
時間が来たらすることが、お風呂でも食事でも勉強でも変わらない。
遊びながら、あるいは何か他のことをしながら、頭の片隅では約束の時を忘れていない感覚だ。
時計の針がピタリと約束の時を指した、そんな風にこの旅は決まった感じだった。
きっと、今が約束の時だったのだろう
行くことを決めてから、詳しく調べ始めた。
調べるほどに、郡上八幡は、お盆の時期の郡上おどりが有名で、恐らく訪れるのは夏がオススメなのだろうと思った。
けれど、旅を延期する気にはならなかった。
直感がGO!GO!と言っているのだ。
ここ1〜2年で、私の身の回りでは、何人かの方がこの世を旅立った。
お一人お一人見送る度に、やはり人は確実に死ぬのであり、どんな人にも明日など保証されていないのだ、という実感が強まった。
やりたいことは、生きているうちにやらないと、永遠にできなくなってしまう。
心と身体で、たくさん感じて、たくさん感動するような旅も、この肉体と共に生きているうちにしかできない。
「どんどん行きたい場所に行き、会いたい人に会い、体験してみたいことを体験しなさい」と、彼らにそう言われている気がしたのかもしれない。
後回しにしていたことを実行することへ、ポンと背中を押されたようにも思う。
私の中でいくつもの水流がここで合流し、
まるで、今という時がずっと前から決まっていたかのように、自然な流れの中で郡上八幡行きの旅は決まった。
参考ページ:田口ランディさんの著書『聖地巡礼』、『コンセント』、『アンテナ』、『モザイク』、『癒しの森 ひかりのあめふるしま屋久島』、『忘れないよ!ヴェトナム』