カウンセリング・セラピーでもたらされる今ここの意識と、目覚めた意識

朝の散歩が日課になりつつある。

歩いていると、脇道、小道が実はたくさんあることに気づく。

住み慣れた場所でも、実は歩いたことのない道がたくさんあるものだ。

脇道を見つけて、ふと目をやると、そこは未知の世界。

こんなところに道があったんだ・・・

道の先に、あんな急な上りの階段があったんだ・・・

この細い道の入り口付近しかそういえば知らないな、奥はどうなっているんだろう・・・

知らない世界は本当に無数に広がっている。

時間は有限で、人の人生にはいつか終わりが来る。

やりたいこともあるし、実現したいこともある。

だから、全ての道を通り、体験することは難しい。

けれど、ふと現れた脇道に入っていかない理由は、それだけではない。

効率性に追われ余裕を失った心と、便利さに漬かって内発性が鈍った肉体、手段が目的にすり替わり自動化してしまった思考。

そういったものが、脇道の存在を視界から消してしまうことがある。

現実をあるがままに見ることが、知らず知らずのうちにできなくなってしまうことがある。

何かに支配されてしまう感覚、大切なものをどこかに置き忘れてしまっている感覚、自分を見失ってしまっている感覚。

今ここ、我にかえると、急に脇道の存在がリアルになって眼に映る。

この脇道、小道は、時に本当は存在していた様々な選択肢であり、時に遊び心を伴った寄り道や人生を豊かにする誘い小道であり、或いは全く新しい世界へと誘(いざな)う天からの呼び声である。

いつの間にか、自分の人生の王道となった道の、すぐ脇に、あるいは少し先に、それらは存在している。

きっと、その小道に気づく秘訣は、今ここにいることであり、目覚めていること、そしてありのままの自分を受け入れることなのだろうと思う。

本当は疲れた身体を休めたいのだと気づくこと。

もう何かを終わりにしたくなっていること。

全く効率的なんかじゃないけど、寄り道したくなってること。

あるいは、ただ立ち止まること。

その時々で、内側から湧いてくる微かな声に耳を傾けることなのだろう。

朝の散歩で、ふと気づいた見慣れぬ脇道の存在に、私の心が響いていた。

そして、カウンセリング・セラピーはいつも、今ここの意識と、自分をただ見つめる静かで目覚めた意識をもたらしてくれることも再確認した。

この記事を書いた人

渡辺 絵梨(わたなべ えり)

渡辺 絵梨(わたなべ えり)

カウンセラー/セラピスト/講師/ファシリテーター
カウンセリング・セラピー・コーチングなどを融合させ、人がいのちの喜びを生きることをサポートしています。
10代の頃から心に興味を持ち学ぶ。「自分のやりたいことが分からない」、「感情が分からない」、「人とのコミュニケーションがうまくできない」、自身も苦しんだこれらの悩みに光をもたらしてくれたのは、心の学びを通じて、自分の心を見つめることでした。
悩み苦しみは、転じていのちの喜びへと通じているのだと思います。そのプロセスの伴走をさせていただいています。
好きなことは、旅、読書、音楽を聞くこと、散歩。また、自然をこよなく愛する。