自分と向き合い始めたきっかけ
先日の記事で、仲間の支えの中で自分と向き合ったから道が開けた、と書きました。
それより更に遡って、自分に何が起こっていたのか振り返ってみました。
自分と向き合うと決めて、向き合い始めるより前に起こっていたのは、人生の行き詰まりでした。
人生の行き詰まりが、すべての始まり
私に起こっていた、人生の行き詰まりの感覚を列挙してみると、こんな感じでした。
自分がしたいことも分からず、毎日の生活に雲がかかったような気怠い感覚。
大切なことに向き合っていないことを、うっすら頭の隅で感じながらも、沢山の言い訳をして、向き合わないままにしている状態。
自分を生きていない空虚感。
街を歩いていても、周りの風景に、行き交う人々に、リアリティを感じられない。
どこか依存心のある心。
そんな状態でこの手に掴むものは、何もかもが真の意味では必要のないものだった。
そして、一体何をしたらいいのか、どこへ向かえばいいのか分からない状態になっていた。
行き詰まりの中で辿り着いたどん底
そんな人生の行き詰まりの中、浮遊感も感じながら生きていました。
そんな時に、とても辛く苦しい、自分一人ではどうにもできない、抜け出せない事態に陥ったのです。
はた目からは普通に生きている状態に見えたと思います。
けれど、陸に揚げられた魚のように、生きているのに息ができていないような感覚でした。
真っ暗なトンネルの中にいて、絶望に近い感覚。
底をうち、自分と向き合うことを心に決める
そのどん底とも言える状態になって初めて、このままではいけない、やはり自分を生きなければいけないんだと思いました。
そして、たとえこれまで得てきたものをすべて失うとしても、自分と向き合おう、そう心に決めたのです。
そして、あまり人に助けを求めたことがなかった私でしたが、恥ずかしさも抵抗感も感じながら、でも、なりふり構わず人に助けを求めました。
助けに応えてくれた周りの人たちは暖かった。
優しさが身に染みました。
あぁ、一人じゃないんだ、と思えたのです。
そして傷ついた自分を癒して癒して、少しずつ立ち直っていきました。
けれど癒して終わらせず、そこから更に深く深く自分と向き合う時間をスタートさせていきました。
そんなことが自分との向き合いが始まる前に起こっていたのです。
自分を生きていないと、神様からの愛のビンタを食らう
人は、自分を生きていない時、神様から愛のビンタを食らうんだと思います。
もう今まで通りの自分では生きられない時。
そのことを教えてくれる沢山のサインが出ているのに、それでもそのまま行こうとしている時。
そんな時に強烈なビンタを食らう。
とても痛いけれど、でも、それは愛のビンタ。
目を覚ますことができる、ありがたい愛のビンタ。
そこから、深い自分との向き合いが始まり、自分を生きる道へと向かうんだと思うのです。