久しぶりに美容院に行った。
初めて切ってもらう美容師さんと会話をした。
「どんな風にされるか考えていらっしゃった感じですか?」
「いいえ、何も考えてきませんでした。」
「(私の髪の毛を触りながら)これはパーマですか?」
「いえ、天然の癖なんです。」
「キレイな癖ですね。カラーはされてない感じですか?」
「しばらくやってないですね。欲がなくなりました。」
「そうなんですね。スタイリング剤をつけるのは、あまりお好きではないですか?」
「はい、好きではないです。ほとんど、というかつけません。」
「そうかな、と思いました。笑」
「昔、10年以上前ぐらいはやっていたこともありましたが、固めたい欲がなくなりました。髪の毛を触った時の手触りも好きではないですし。」
「色んな欲がなくなったんですね。笑」
「はい。笑」
そんな会話を冒頭にして、なんとなくの要望を伝えて、そこから髪質にあった提案をいただきカットが始まった。
終わってみれば、要望も叶えてもらって、髪の癖も活かしてもらっていい感じの仕上がりになっていた。
自分で同じようにするコツも教えていただき、大満足で店を後にした。
次の目的地への移動中、美容師さんと冒頭にした会話が気になって、思い返していた。
欲がなくなった、って、年齢重ねたからかしら・・。
ツラツラと考える。
そうしたら、ふと分かったことがあった。
欲がなくなった、というよりも、この天然の癖をもった髪を「コントロールしたいという欲」がなくなったのだ。
長年の付き合いから、季節や湿度の影響で癖が強く出る、この髪の毛の習性というか生態が分かってきた感じ。
若かりし頃は、その理解も無かったし、とにかくどうにもコントロールできないこの癖が嫌で、ストレートの髪の毛の子を羨ましく思っていた。
あんな風に、スーッと真っ直ぐなったらいいのにな・・・。
前髪も、キレイにおでこの前に出てきたらいいのにな・・・。
朝は、毎日のように鏡の前で、髪の毛と格闘していたことを思い出す。
けれど、今は格闘などせず、この髪の毛の習性全てを受け入れながら、活かすという方向に動いているのだ。
毎朝、起きて鏡を見て、おー!今日はそんな感じね、そう来るのね、と。
その日の髪の毛の状態を受け入れ、天候も考慮しながら、ささっと手入れをする。
こんな風に気持ちが変わったのは随分前のことで、そのきっかけは忘れてしまったけれど、
美容院で「キレイな癖ですね」と言われるようになったことが始まりだったかもしれない。
今は言われ慣れたこの言葉も、最初の頃は「えっ?!そうなの?」と驚いていた。
そう言われる度に、自分の髪を受け入れられるようになっていったと思う。
あるいは、自分の髪を受け入れ始めたから、その言葉も受け入れられるようになっていったのだと思う。
変えられないものを変えたい、コントロールしたいという欲は、非常に疲れるものだ。
その欲が無くなった今は、とても楽だし、自分の髪を好きにすらなっている。