映画『ヨコハマメリー』を観た
映画「ヨコハマメリー」は、戦後から横浜の街頭に立ち続けた娼婦メリーさんが、1995年に忽然と姿を消したことをきっかけに、
弱冠30歳の本作の監督が、メリーさんの影を追い、様々な人にインタビューをして作られた作品だ。
監督は、それまでよくメリーさんを街で見かけていた。
けれど、突然居なくなって初めてメリーさんのことを何も知らない事に気づいたのだ。
白塗りの目立つ風貌と、凛とした佇まい、気品ある振る舞い、
異様に見えたその姿に、見た人が根も葉も無い噂話をして、都市伝説化した存在だったメリーさん。
自らのことを語ることはほとんど無かったと言う。
本作で登場するのは、メリーさんと実際に交流のあった人のみだった。
親交のあったシャンソン歌手の永登元次郎さん、メリーさんを含む横浜の風景写真を撮影し写真集として出版した写真家さん、
メリーさんがよく訪れた美容室の美容師さん、クリーニング屋の店主夫婦、化粧品屋の店員さん、
メリーさんが街でよく立っていた場所にあった大衆酒場のお座敷芸者さんなどなど。
さまざまな人が、メリーさんとの間にあった出来事、会話、交流などを語ることで、
メリーさんという人の色々な側面に光が当たっていき、その人物像の輪郭が少しずつ浮き上がってくる。
それだけでなく、横浜の戦後史、横浜という町、そこで暮らす人々の様子も感じられた。
その横浜という町で、戦後50年間、娼婦として生き抜いたメリーさん。
どんな思いだっただろうか。
どんな風に日々を過ごしていたのだろうか。
街の変化、時代の変化をどんな思いで見つめていたのだろうか。
街の人々に温かく見守られていた半面、心無い噂話で辛い思いや寂しい思いをしただろうことが、インタビューで語られる話から感じられた。
メリーさんの生きた人生もまた、太平洋戦争の影響を受けた市井の人々の暮らしや、複雑な心境を語るものの一つである。
印象に残ったエピソード
観ていると、交流のあった人々へ一人一人丁寧にインタビューをした様子が伝わってくる。
いくつも心に残るエピソードはあったけれど、なかでも印象的だった2つのことを書き留めておきたい。
お中元とお歳暮を贈るメリーさん
1つは、メリーさんは当時の神奈川県知事や、宝飾店の社長宛にお中元とお歳暮を送っていた、というエピソードだった。
メリーさんは、あるビルの入り口ベンチによく腰掛けていたが、ベンチの目の前にあった店舗がその宝飾店だった。
「ベンチに座っているのを追い出さずにいてくれてありがとう、という気持ちだったのではないか」と、
宝飾店の社長はインタビューで語っていた。
住む家も持たず、荷物を持ち歩いて暮らしていた状態でも、人への感謝の気持ちを忘れず、
時として忘れがちな「見守り」という名の愛をしっかり感じて、お返しをしていたメリーさん。
行動が物語る、人として、一人の大人としての、礼儀と芯の通った精神を感じさせた。
メリーさんがきっかけとなって生まれた、五大路子さんの一人舞台「横浜ローザ」
もう1つは、メリーさんの存在がヒントになり作られた演劇作品「横浜ローザ」についてだった。
「横浜ローザ」は、女優・五大路子さんが演じるひとり芝居だ。
インタビューの中で五大路子さんは、メリーさんに触発されて芝居を演じる事にした経緯を語っていた。
更に印象的だったのは、舞台のラストシーンで、五大路子さん扮するローザが、
舞台から客席へと階段を降り、客席内の通路を通って、ホール後方の出入口へと退場する場面の話だった。
観客からは惜しみない拍手が送られていた。
「皆さんの拍手はローザに送られているのではなく、『メリーさんよく生きたね、よく頑張ったね』と言っているように聞こえるのだ」と、
五大路子さんは語っていた。
ローザが拍手を浴びながら退場する後ろ姿がスクリーンに映し出される。
その後ろ姿には、確かにメリーさんがダブる。
私はその後ろ姿と、五大路子さんの語りで、全身鳥肌が立っていた。
戦後の混乱期、働き手である夫や息子を失い、女性たちはどう生きていたのだろうか、と思いを馳せる。
横浜の地で、アメリカ兵たちに身を売りながら、強く生きた女性たち。
心や精神までは売ることなくしっかりと保ち、凛とした姿勢で生き抜いたメリーさん。
人間として誇りを持つこと、どんな混乱をも生き抜く逞しさ、それらの土台となる生命力の強さを感じた。
映画終了後の監督の舞台挨拶より
映画終了後に監督の舞台挨拶があった。
事前チェックしておらず気づいていなかったので、なんてラッキーなのだろう、と思った。
同時に、平日の昼間なのに、たくさんのお客さんが来ていた理由も腑に落ちた。
監督は簡単な挨拶を終えると、会場からの感想シェアや、質問を受ける時間としたい、とのことで、観客との双方向のやり取りが始まった。
これがとても面白かった。
会場からは沢山の質問が投げかけられた。
なぜこの映画を撮ろうと思ったのか、
メリーさんは何歳で亡くなったのか、
どうやって情報を集めていったのか、
など、気になっていた点ばかりだった。
映画館に訪れているお客さんたちは、私よりも年齢が上の方が多く、さらには横浜に慣れ親しんでいる人が多い様子だった。
実際にメリーさんを見かけた人が居たり、メリーさんの親友である永登元次郎さんのステージを見に行った方などもいた。
監督の話の中で印象的だったことがあった。
メリーさんについての映画を撮ろうと思い立ってから、
とにかく、誰かから情報をもらっては、その情報を元に、次に話を聞けそうな人へと回っていき、
そうした街中でのインタビューを2年間は続けていたと言う。
調査を進めていくうちに、最終的には、メリーさんが街から姿を消した後に入所した老人ホームの場所まで突き止めた。
しかし、既に存在しなくなった人を調べていたつもりが、まだ存命だということが分かってしまい、躊躇いもありながら、会いに行ってメリーさんご本人と色んな話をしたそうだ。
街中でインタビューをしていると、裏の取れない都市伝説のような話や、根も葉も無い噂話なども沢山あったと言う。
けれど、実際にメリーさんとお話をしたことで、この可愛らしい老女を傷つけるような映画にしてはいけない、と考えた監督は、裏の取れない話は映画では扱わないことに決めたのだ、と話していた。
一人の人の人生を丁重に扱った監督の思いに、ホッとすると同時に、映画に込められた愛を感じた。
ドキュメンタリーの持つ重量感が好きだ
映画を観終えて、さまざまな感情を感じていた自分がいた。
メリーさんを見守る人々の温かさ、反対に恐怖と怖れの感情から疎外する方向へと動く人々、
戦後の混乱期を生き抜いた女性たちの逞しさと生きることに伴う哀しさ、
混乱期が育てた生きる強さ、混乱期だからこそ起こり得た種々の交流、
右も左も、上も下も、善も悪も、正も誤も、全てが渾然一体とそこにあるカオスの状態。
こういう映画が好きだ、と思った。
事実を集め、その奥にある真実が炙り出されてくる作品。
事実を巡る様々な側面が感じられる作品。
事実はリアルだ。その重量感が好きだ。
だから、
フィクションよりもノンフィクション、
空想よりドキュメンタリー、
噂よりも事実、
考えよりも身体、
そんな風に重量感を私の心は求めていることを感じる。
重量感の奥に、真実が眠っている気がするからだ。
映画『ヨコハマメリー』から感じる真実は、一人一人違うと思う。
そして、それでいいと思う。
最後に、監督と少しだけ話せる時間があり、メリーさんのことについて会場では聞きにくかった質問をしてみた。
質問に答えてくれたと同時に、私が質問したような映画の中では取扱えなかったことも著書には書いているとのことで、早速読み始めている。
これもとても面白いので、合わせて読むことをお勧めしたい。
『ヨコハマメリー: 白塗りの老娼はどこへいったのか』(河出文庫、中村高寛著)
参考ページ:映画「ヨコハマメリー」公式サイト