身近にいるブラック企業並の存在
あれもしろ
これもしろ
こんなこともできないのか
ライバルはあんなに成果を出しているのに
睡眠を削れ
甘えるな
まだまだ足りない
こんなんじゃダメだ
もっと稼げ
もっと働け
もっと努力しろ
世の中のブラック企業の存在を耳にすることはあるけれど、
もっと身近にブラック企業並の存在を抱えている人も少なくない。
そう、自分自身だ。
前提となる世界
自分にとことん厳しく、辛く当たり、こき使う。
その根底には、自分はダメ、価値がない、放っておくと怠ける、このままだとダメになる、という前提があったりする。
もちろん、自分を甘やかしてばかりでは良くないけれど、
本当にダメなのか?価値がないのか?いつでも怠けるのか?良くなっていることだってあるんじゃないか?と疑ってみる必要がある。
自分の中に存在する、ブラック企業な自分は、ダメなところばかりをクローズアップする。
けれど、よくよく事実を偏見なく見つめてみると、良いところだって沢山ある。
そして、もっと科学的、理性的、知性的なアプローチで、
自分をうまく動かすことはできる。
根性論で、自分を責め、叩き、鞭打つようなやり方ではなく、
自分を理解し、人間の習性を理解し、過去に起きた出来事から学習した自分を癒しながら。
どんな存在も理由があって生まれていることを理解し、新しいやり方を取り入れる
ブラック企業な自分が必要があって生まれ、
その存在が必然であった過去すらも理解し抱きしめていくことも、
その理解の中には含まれる。
どんな存在も理由があって生まれている。
だから排除しようとしてはいけない。
なぜそんなに自分に厳しくしてしまうのか、
何がそうさせるのか、どうやってそのやり方を学んだのか。
そして理解と同時に、新しいやり方を少しずつ覚えていく必要がある。
どうしたら自分が気持ちよく動けるのか、楽しく続けられるのか、
喜んで主体的積極的に物事に向かうのか。
ブラック企業の自分を、もっと健全な状態に育て成長させ、
その元で動くもう一人の自分を育てていく。
ブラック企業の自分で、自分を動かしていくのも悪ではないけれど、
結局そこには犠牲が生まれ、身を削るという不健全さがあり、
どんどん疲弊するし、長い目で見た時には持続性がないし、時に命の危険すらある。
要するに不健全で不自然なのだ。
自然を見渡してみたら一目瞭然だ。
自分の中にブラック企業を抱える動植物がいるだろうか。