中華料理屋で、懐かしい料理を注文する
ある日の夕食を、中華料理屋でとった。
たくさんのメニューを前にして、何を注文するか迷った。
私は、食事をとる時、お腹(なか)さんと相談して決めている。
この時もいつもの通り、お腹(なか)さんに相談してみると、ご飯のついた定食が食べたい気分とのこと。
メニューをめくりながら、定食がないか探していた。
けれど、あまりにも多いメニューを見るのが楽しくて、注文するつもりのないものも含めてゆっくりと見ていた。
すると、メニューの中に、かた焼きそばを見つけてしまった。
何ページもあるメニューをめくっては返しを繰り返しても、かた焼きそばのページに戻ってきてしまう。
お腹(なか)さんの声は、お米を食べたい!だったけど、かた焼きそばを注文することに決めた。
懐かしい気持ちが勝って、食べたくなったのだ。
幼い頃、父だけが食べていた特別な料理「かた焼きそば」
私の父は、かた焼きそばが好きだった。
どこかのお店で注文する様子は、あまり見たことがないけれど、
休日の昼によく母にリクエストして、母が作ったかた焼きそばを食べていた。
けれど、同じ食卓で、母や私たち子どもは、一緒にかた焼きそばを食べたことはあまりなかった。
理由はよく分からなかったけれど、父以外は別メニューだった。
幼い私の目の前で、かた焼きそばに、酢をかけて、辛子をつけて、バリボリと食べる父。
父からちょっとだけ分けてもらって味わった。
家庭の食卓にのぼる和食には、あまりない味と食感。
その味が食べたくて、高校生くらいになると、父が食べる時に、私も母にリクエストした。
ちょっと特別で、ちょっと珍しいかた焼きそばを、バリボリ食べたかったのだ。
運よく食べられた時は、ご機嫌になって、満足した。
そんな体験によって、私にとって、かた焼きそばは特別な存在になっていった。
そういえば、最近はしばらく食べていない。
改めて気づいたが、自分ではあまり作らない料理なのだ。
中華料理屋で、注文したかた焼きそばが出てくるまでに、そんなことを考えた。
料理を食べながら、記憶を食べる
店内を眺めながら、昔の記憶の中に埋没していると、店員さんが、かた焼きそばを持ってきてくれた。
結構、量がある。
おそらく、一人で注文するものというよりは、何人かでシェアする想定なのかもしれない。
お腹の空いていた私は、口いっぱいに頬張って、バリボリと音を立てながら、大きめサイズのかた焼きそばを食べた。
うん、そう、この食感。
美味しいより先に、懐かしいと思った。
ご機嫌になって、満足感を感じる。
一瞬にして、幼い頃へとタイムスリップする。
人は、時折こうやって、目の前の料理を食べているようで、記憶や思い出を食べていることがあると思う。
かた焼きそばは、母が父を労る料理だった
改めて、目の前のかた焼きそばをじっくり見てみると、きくらげやら、イカやら、色んな食材が入っている。
なんてバラエティに富んだ顔ぶれの食材だろう。
もし自宅で作るとしたら、常備している材料では足りないものが沢山あるし、こうした食材を一つずつ用意する必要があることに気づいた。
それって、結構面倒だな、と思った。
その瞬間、母は、父からリクエストがあると、わざわざ材料を用意して作っていたのだと理解できた。
平日は家族のために仕事をしている父を思って、休日はその労をねぎらうべく、父の望みをできるだけ叶えていた母。
そのことは随所で感じていたけれど、この料理もそうだったのだ。
幼い私には、なぜか食べさせてもらえない特別な料理だった、かた焼きそば。
これまで、その特別だった理由を深く考えたことはなかった。
両親の間では、夫婦の思いやりや、相手を労る気持ちがこもった料理だったのだ。
今回、中華料理屋で食べたことをきっかけに、改めてそのことを感じることができた。
幼い頃から、ちょっと特別だったかた焼きそば。
今は、その特別感とは違った意味合いの、もっと心が温まる、やはり特別な料理になった。