ここのところ、私は泣きっぱなしだ。
仲間の辛い過去を聞いて。
悲惨な事件を知って。
深い愛の旋律を聴いて。
どんな人も、深い深いところで悲しみを抱えている。
元気そうでも、笑顔でも、普通にしてても。
本人に自覚があってもなくても。
日常に起こるすれ違いや諍いは、その悲しみが根っこにある。
そして、その悲しみは、この世に、この時代に、生まれ落ちる前から引き継がれてきたもの。
何代も前から、悲しみに悲しみが重なり、引き継がれてきたもの。
誰にも気づいてもらえない悲しみは連鎖する。
いまこの時代、そして目の前で起こっていることは、その悲しみの連鎖が引き起こしたもの。
私たちは、皆んな悲しみのプールにからだを浸けている。
でも、そのことに気づいていない。
気づくのはとても辛いことだから。
けれど、その悲しみたちはどこかで掬ってもらいたくて、誰かに気づかれたくて、分かってもらいたくて叫んでる。
気づけばプールから出ることができる。
気づけば連鎖を断ち切ることができる。
そして、もっと周囲に愛を注げる。
気づくことも辛いけれど、気づかないことはもっと辛いこと。なぜなら、悲しい出来事を引き起こし続けるから。
だからいま辛くても、本当は見たくない感じたくない気持ちを見つめ、その下にある悲しみへと降りていく。
悲しみに触れた時、涙は流れる。
自分の本当の気持ちに気づけた時に、涙は溢れてくる。
だから、沢山泣こう。
やがて涙は愛へと昇華する。