オープンダイアローグの柱の一つに、
「変えようとしない」というのがある。
そして、変えようとしないからこそ変化が起こる。
ゲシュタルトセラピーもまた然り。
私はこの考え方が好き。
今日読んでいた本の一節。心が震える。
[「変えようとしていないか」という問いに対する]答えは
イエスであり、ノーであります。
イエスというのは、変化が求められているからで、
そうでなければ、教育やセラピーのたぐいはまったく不要でしょう。
しかし、もし変化が一方的に起こすべきものとして
理解されているのであれば、
答えはノーになります。
対話的な実践は共進化をもたらします。
そこでは参加者全員が変わっていくのです。
〜〜『開かれた対話と未来』より
「共進化(coevolution)」という言葉は、
以前読んだ『貨幣の「新」世界史』(原書:Coined)にも出てきた言葉で、大好きな言葉。
蜂により受粉が起こったり、
魚が亀の甲羅を掃除してお互いに助かっていたり、
自然界で、生き物が何かを交換しながら共生するように、
人類がお互いに生きる上で交換してきた何かが、貨幣という形に姿を変えていった。
そして、その交換により、生き物も人間もお互いに進化してきた。
貨幣を交換してお互いに助け合いながら、
貨幣によって、人は「共進化」してきた、
といった内容が、本の冒頭部分に書いてあった。
この「共進化」という言葉に心が震えた。
対話も、一方的ではなく、
双方的であるがゆえに共進化する。