映画『蟻の兵隊』を観て:太平洋戦争の新たな一面を知る

映画『蟻の兵隊』

映画「蟻の兵隊」を観て、中国山西省日本軍残留問題を知る

また一本、心にズシリとくる映画を見た。

そして、知らなかった現実を知った。

2006年に公開された映画「蟻の兵隊」だ。

一般的には「中国山西省日本軍残留問題」として知られる問題を扱った映画であり、

第二次世界大戦で中国へと渡っていた日本軍元兵士、奥村和一さんを追ったドキュメンタリー映画だった。

奥村さんは、終戦となった1945年以降も武装解除を受けることなく中国に残留。

その後、更に4年間、国民党軍の部隊として共産党軍と戦った。中国の内戦である。

奥村さんを含む中国に残留した日本軍元兵士達は、この中国残留について、国を訴えていた。

残留は日本軍の命令であったにも関わらず、兵士が自ら志願したのだ、とされていることについての訴えだ。

奥村さんらは、終戦から約6年後、ようやく日本に帰国することができたものの、志願しての残留ということで、終戦時に除隊扱いとなっていた事実を知る。

戦後支払われるはずの、兵士として戦った恩給は、除隊扱いとなっていたため支払われることはなかった。

奥村さんは中国でひどい怪我をしたにも関わらずである。

映画の中ほどで、医師の検診を受ける奥村さんの姿が映し出されていた。

医師と奥村さんとで一緒に見ている、胸部レントゲン写真には、たくさんの金属、つまり銃弾が写っていた。

中国の内戦で、大量の銃弾を浴びたのだ。

奥村さんらが除隊されていた背景には、ポツダム宣言があった事も映画の中では語られていた。

ポツダム宣言で武装解除となった日本軍が、その後も兵士として武器を使い戦っていた、という事実を国家は受け入れることができない。

終戦後も中国残留し中国の内戦で戦った日本兵達は、日本軍司令官達からこれは国のためだ、と言い聞かされていたと言う。

国のために戦い、国を守るために命を捧げた兵士たちへの仕打ちは、司令官たちの巧みな事の運び方と、司令官の保身のためになされた、ひどいと言いたくなるものだった。

奥村さんら元兵士達は、帰国後、高度経済成長期の最中、自身の生活を立て直すことで精一杯だったのだろう。

訴えを起こしたのは、会社を定年退職して時間ができてからだった。

時が経ちすぎていた。

映画が撮られていた2000年代で既に戦後60年ほどが経っていて、関係者のほとんどは亡くなり、証言を得ることも難しく、証拠を手に入れることも難しい。

奥村さんは、日本軍兵士が司令官の命令によって残留した証拠を探して、様々な調査を重ね、中国山西省へと足を運んだ。

その甲斐あって、中国の閻錫山(えんしゃくざん)と日本の澄田司令官が交わした、日本兵残留に関する密約の証拠となる文書をなんとか探し当てることができた。

しかし、これらの文書を持ってしても、裁判では上訴が棄却され、敗訴となった。

戦後当初の除隊扱いに関する決定には、陸軍司令官である澄田および山岡が残した証言「兵士らは自ら志願して残った」というものが採用されているからであり、

この密約については、当時、公の場で明らかにされることは無かった。

国としては、当時武装解除していなかったこと、軍の命令で兵士が残留し戦ったことを認めるわけにはいかないからだろう。

家族を守るため、国を守るために戦った兵士達への、許しがたい国家の仕打ちへの怒りと、

真実を明らかにしたい、という思いから、奥村さん含む、中国に残留して戦った人々は、国と戦っていた。

観ていてやるせない気持ちになる。

兵士としての戦争体験と、中国現地の人の体験

更に、映画の中でもう一つ衝撃的だったのは、当時まだ若かった奥村さんが初年兵として教育を受けた際の話であった。

人を殺す訓練だ。

奥村さんは、裁判で有効な資料を手に入れるためだけでなく、自分が初年兵として教育を受けた現場へも足を運びたいと願っていた。

当時、まだ少年だった奥村さんは、自分の目の前のことで精一杯だったから、周りで何が起こっていたのか知りたかったという。

訓練を受けた場所を訪れた奥村さんは、銃剣で人を刺し殺すその仕草を、老いた体を支える杖を使ってやって見せてくれる。

刺したらすぐ抜かないと、死後硬直で剣が抜けなくなるからすぐに抜くのだ、と当時教えられた事を語りながら。

初年兵として、恐ろしさに震えながらの訓練だったと言う。

人を殺すなど、したことも考えたこともない少年にとって、恐ろしい事であったからだ。

経験が浅いうちは、相手の肋骨を浅く刺すなどして、すぐに刺し殺すことができない。

心臓を一突きにできるよう訓練していく。

その時の感触を、まだ体が覚えている様子が、画面から伝わってくる。

軍の教育、兵士の教育は、人の理性を奪い、人を殺すことを可能にしていく。

その教育が深く体に残っていることも、語ってくれた。

場面が変わり、奥村さんは内戦時に日本軍の被害にあった人、戦いの被害にあった人を訪れる。

様々な人の視点から当時の様子を聞くためだ。

長年、家族に話せなかった戦争体験を話すようになった中国人女性。

戦争は終わっているのに、なぜ日本軍兵士が、中国軍と戦っているのか分からなかったと話す中国人男性。

初年兵の訓練を見たという中国人男性。

当時、まだ少年だった奥村さんは、自分の目の前のことで精一杯だったから、何が起こっていたのか知りたかったという。

そのことを、現地の人の語りで知っていく。

戦争という異常事態

沖縄戦の映画を見た際にも感じたけれど、やはり、戦争は、普通の精神状態では起こらないこと、起こせないこと、想像できないことだ。

人間が理性を失い、人間の心を失い、まともには考えられない状態。

異常事態であり、非常事態である。

異常事態を生き延びていくために、異常になるしかない。

正常を捨てなければいけない。

そういう状態だ。

常軌を逸している状態。

恐ろしく怖い状態に身が震える中で、何かを捨て手放し、殺し抑え込み、無我夢中で生き延びる。

そして、振り返ってみた時に、その恐ろしさを目の当たりにする。

理性が消し飛ばされ、ただサバイバルするしかない。

もうまともにはものを考えられない状態でされる教育は、もはや洗脳なのだと思う。

その体に染み渡ったことをただ信じ、行動していく。

内側から、精神から、異常事態にさせ、そして異常な状況の中に送り込む。

更に学びの歩を進めたい

戦争とはなんなのだろうか。

なぜ起こったのだろうか。

今、私の関心はそこへ向き始めている。

本作の映画監督・池谷薫氏は、自身の父親が被爆している。

父親が被爆体験を話してくれたのは、池谷氏が18歳になった時だという。

話してくれよ、と思っていた、という。

私は、祖父が空襲体験者だったが、似たようなことを子どもの頃に感じていた。

戦争体験者にとって、戦争は語りたくないものだ。

思い出したくないものだ。

けれど、それくらいのものであるならば、二度と起こさないためにも、後世へと語り継がなければいけないものでもある。

やはり、沖縄戦同様、知っていくしかないのだ。

映画の冒頭で、靖国神社に年始のお参りに来ていた、若い女性たちが映し出されていた。

カメラを回す映画の作り手が、彼女達に靖国神社がどんな神社で、戦争で何が起こったのか知っているか、と尋ねた。

彼女たちはほとんど知らない様子だった。

何が祀られているかは関係なく、ただ年始だから神社にお参りに来た、と屈託なく言う彼女たちの姿に、私は自分がダブった。

私自身が受けてきた教育では、目の前の奥村さんと話ができるほど、ちゃんとは戦争について教えられていないし、

戦争体験者がどんな思いでいるかも、ほとんど知る機会がないからだ。

ただ、辛く悲しい体験だった、ということしか知らない。

国が兵士をどう扱ったのか、本土が沖縄をどう扱ったのか、そういったことは教科書には載ってこない。

だから、自分で知ろうとするしかない。

なぜあの戦争は始まったのか。

そこを知るために、更に学びの歩を進めたい。

風が生まれるトークセッションのご案内

2024/11/14(木)19:30〜第11回風が生まれるトークセッション@オンラインを開催します。

◆第11回のゲストは、すずきあけみさんです。

◆こんな方に

  • あけみんの話が聞きたい方
  • あけみんをもっと知りたい方
  • ゲシュタルトセラピーに興味がある方
  • 不登校やひきこもりというキーワードに関心がある方
  • 人の想いを聞くのが好きな方
  • 生きることを見つめたい方
  • 人生の奥深さを感じたい方
  • 生きるヒントを得たい方
  • いのちの声を聞きたい方
  • 自分を深く見つめたい方
  • 理由はないけれど、ピンと来た方
  • 私やあけみんとお話ししたい方

詳細はこちらをご覧ください。

お申し込みはこちら

この記事を書いた人

アバター画像

わたなべ えり

カウンセラー/セラピスト/講師/ファシリテーター
カウンセリング・セラピー・コーチングなどを融合させ、人がいのちの喜びを生きることをサポートしています。
10代の頃から心に興味を持ち学ぶ。「自分のやりたいことが分からない」、「感情が分からない」、「人とのコミュニケーションがうまくできない」、自身も苦しんだこれらの悩みに光をもたらしてくれたのは、心の学びを通じて、自分の心を見つめることでした。
悩み苦しみは、転じていのちの喜びへと通じているのだと思います。そのプロセスの伴走をさせていただいています。
好きなことは、旅、読書、音楽を聞くこと、散歩。また、自然をこよなく愛する。