身近な人の死を経験した。
俄かに慌ただしくなった。
同時に、予定をいれるのを止めた。
無意識に手が止まった、という方が正確かもしれない。
そうしたら、ぽっかりと時間ができた。
そのぽっかりとできた時間に、海に行きたくなった。
海を見ていたら、少し楽になれるような気がした。
心の中に湧いてくる悲しみや、切なさや苦しみ、不条理へのやるせなさ。
放っておいたら、澱のようにたまっていきそうな感情たち。
そんな感情たちを、海なら流していってくれる気がした。
電車とバスを乗り継いで、海へと向かった。
海を見た瞬間に、私の心と身体がホッとするのを感じた。
同時に、少し力が入って緊張していた自分に気づく。
ただただ、海を眺める。
時折、感情が込み上げてきて、涙で目が滲む。
海を眺める時間が、現実を変えるわけではない。
現実は変わっていくもの。
絶え間なく揺れる波たちが、そのことを改めて教えてくれる。
ずっと海を眺めていると、不思議と心が和らいでいく。
静かになって、落ち着き、安心する。
ただ、海を眺めて時間を過ごす。
そうしていたら、ふと疑問が湧いた。
なぜ海に癒されるんだろう、と。
海は、私が何を思っていても、何を話しかけても、何一つ変わらず、そのままだからなのかもしれない。
私の思いや感情に左右されない。
ただ在るだけ。
誰かに話を聞いてもらって癒やされることもあるだろう。
けれど、人は思い思いの聞き方をし、反応をする。
相手に悪気がなくても、何気ない一言に、或いは反応がないことに、余計に心が波立つ時がある。
その波立ちを起こしたくない時がある。
ただ、内側にある思いや気持ちを、自然に変化していくに任せたい時がある。
空中に舞う塵が、時間と共に静かにおりていくように。
そのことを海は許してくれる。
海はただ在るだけ。
ただそこに在って、私たちを生かし、育み、恵みを与えてくれる自然は、愛そのものだと思う。
その愛に触れると、心が安らぎ、苦しみが和らぐ。
それが癒しなんだと思った。
愛は、癒し。
気づけば、もう毎週のように海に行っている。
話したくない時は、話さなくていい。
無理しなくていい。
この世は諸行無常。
海は、水の流れで時が流れていくことを、
波の変化で物事が変わりゆくことを感じさせてくれる。
自分の気持ちも、ずっと同じというわけではない。
変化していく。
自分の気持ちが分からない時、まるごと受け止めてもらいたい時、私は海へ行く。
海が湛える大きな愛に、ゆったりと身を任せることができた私は、だいぶ元気になったと思う。