日常の中で、人の対応に対してイライラッとすることがありました。
このイライラッという気持ちは、捕まえることができると色んなことが分かるチャンスです。
まず、一歩目としては、このイライラッという気持ちを感じていることに気づくことです。
多くの場合は、感情の中に取り込まれてしまいます。
取り込まれているときは、イライラしながら、色んな考えが頭の中に渦巻きます。
けれど、感じていることに気づくと、「あっ、私イライラッとしてる」となり、様々な考えが頭に浮かぶことが止みます。
こうなったらしめたものです。
何にそんなにイライラしたのか。
自分は何を求めていたのか。
そんなことが見え始めます。
そして、そんな風に自分の気持ちをきちんと見つめることができると、今度は現実的な思考が動き出します。
現実をよく見たときに、相手はその求めに応じるか。
過度に期待していなかったか。
自分のイライラは、思い通りにいかなかったことで、更に増幅したのではないのか。
自分のイライラを感じるポイントの傾向はどんなものがあるだろう。
これらの思考は、起きてきた感情を嫌がり、これ以上感じたくないがために、相手はきっとこうだったのだろうと思考で片付けてしまう、といったものとは違います。
自分が何を感じているか感じられたあとに、その気持ちを真正面から見つめていって初めて、相手の状況もよく見え、相手の気持ちも見えてきます。
そして、自分と相手との間に何が起こっていたのかが、クリアになってきます。
つまり、ありのままの現実が見えてくるということです。
日常の中にこそ、こんな風に成長できる種のような出来事が起こります。
そんな出来事が起こると、その時は不快でも、後で振り返って、まだまだだなぁと自分の未熟さを顧みるとともに、気づかせてもらえた出来事に感謝の気持ちが湧いてきます。
不快な感情は、成長へとつながっていきます。
知らない人に対して、あるいは職場で、あるいは知人・友人の間で、あるいは家族の中で、日々様々な気持ちが動く場面があると思います。
相手に関わらず、見つめるべきはまず自分。
気持ちの強度も、弱かったり強かったりすると思いますが、大小、強弱に関わらず、見つめていくと色々なことが分かっていきます。
だから、不快な感情を感じたときは、まず自分に矢印を向けて、自分の気持ちを感じることから始めていくのがオススメです。