リトリート開催への思い

こんな風に感じていませんか

  • 人生このままじゃ違う気がする
  • 時間的にも精神的にも余裕が無くて、これからのことや自分のことについてゆっくり考えられない
  • もっと自分らしい人生、より充実した人生を送りたい
  • 自分らしく生きたいけれど、自信が無い
  • 周りの人がキラキラして見える
  • イライラして人に当たってしまい、その後自己嫌悪に陥る
  • 何かうまくいっていない気がするけれど、原因も解決方法も分からない
  • 休みの日も仕事のことを考えてしまい、心も体も芯からは休めていない
  • 体のどこかに消えない緊張がある

過去の私も同じように思っていました。けれど、今の私は、その頃の私とは違います。

将来への不安しかなかった私は、未来が見えなくても自分と世界を信頼できるようになり、

周りを気にしたり、人と比較して落ち込んでいた私は、自分もなかなか面白いじゃん、と思えるようになり、

何かがうまく行っていない時、どこに立ち戻ってくればいいかを感覚的に知っていることに安心し、

日々忙しくても、自分を見つめ、自分を感じられるようになっています。

そして、自分が自分の応援団でいようと思っています。

もちろん、揺れたり、ブレたりはしますけれどね。笑

そして、こうした変化は一足飛びに起きたのではなく、少しずつ起こっていきました。

その変化の柱となったものが、「自然」と「カウンセリング・セラピー」でした。

今、思い返しても、悶々として何もしない状態のままでは、あるいは一人では今の状態にはなれなかったと思います。

だから、その「自然」と「カウンセリング・セラピー」の両方の要素を一つにしたリトリートを開催することにしました。

以下に、私自身の変化と、リトリート開催への思いを書きました。

読んでいただいて、ピンと来た方、ぜひお待ちしています。

リトリート開催への思い

プレッシャーの中で、寝覚めの悪い夢をよく見ていた20代

話は、過去へと遡ります。

山に登り始め、自然の中に行き始めたのも、

カウセリングや心理療法を学び始めたのも20代後半でした。

今からもう15年ほど前です。年齢バレますね。笑

燕岳と花

コーチングとの出会いをきっかけに、教育の仕事を始め、

人と接することが増え、人の援助・サポートが増えた時でした。

それまで、私はIT企業でSEをしていたので、

仕事時間の大半をパソコンの前で過ごし、システム作りをしていたんですね。

けれど、10代後半から興味のあった「心」や「心理学」、「人間」への消せない思いや興味が湧き上がり、

思い切って人生を方向転換した頃でした。

けれど、人間って奥深くて、心も奥深くて、まだ20代だった私に人の援助はかなりプレッシャーでした。

自分よりも年上で人生経験豊富な人々に囲まれ、刺激に溢れて楽しい反面、

時に叱咤を受けることもあったり、思いが至らず相手の方を不愉快な気持ちにさせてしまうこともあり、落ち込んだり自己嫌悪に陥ることも多かったです。

私の関わりが、相手の方にとってどれくらい役に立てているのだろう、と不安や無力感を感じることも多々ありました。

また、仕事でミスをする夢や、自分のしたことへの参加者の反応が悪くて落ち込む夢、うまく受け答えができなくて冷や汗をかく夢など、

なかなか寝覚めの悪い夢をよく見ていました。

知らないうちにストレスを抱え、誰にも相談できない辛さを感じたり、人と深く関わることへの怖さから役割に逃げ込んだり、

人の人生に関わること・影響を持つことの責任の重さから逃れたくなったり、

自分のできなさ、無力感に打ちひしがれたり、そんな自分が人の援助をしていることへの罪悪感も感じていました。

表面的にはうまくやっているように見えても、心の中ではいろんなことが起こっていたのです。

自然の中へ足を運んだきっかけは単純なものでした

ある日、ふと山に行ってみようと思いました。

20代後半の時、屋久島にひとり旅をして、自然の中に行ったり、山登りをしたことがとても気持ち良かったこと。

その数年前の20代半ばに、当時の会社の同僚と富士山登山をして、ハイキンググッズを揃えていたこと。

あとは、単純にお金をかけずに、体も動かせて、何か楽しく休日を過ごせないかな、と思ったこと。

これらが全部合わさって、そうだ、山を歩いてみよう、と思ったのがきっかけでした。

最初は、首都圏のハイキング初心者が大体行ってると思われる高尾山へ。

ここに一人で行きました。

それまでハイキングらしいことはしていなかったので、上手な歩き方も知らず、休み休み登っていったら、結構疲れて、頂上でぐったりしてました。

でも、心地良い疲労感と、思考でぐるぐるしていた頭が空っぽになって、静かな山頂でさらに心が静まり、

雲ひとつない青空を音もなく飛ぶ一羽の鳥を見ていたら、心に抱えていたものがすーっと軽くなったことをよく覚えています。

はばたき

日常から離れること、役割を降ろすことの、底知れない自由と安堵を感じました。

当時は、山に入ると携帯電話の電波が届かなくなることも、私を解放してくれました。

自然のすべてがそうであるように、ただの生き物になれる瞬間。

ただの自分になれる瞬間。

家族や友人、会社や仕事の中で、知らず知らずのうちに役割を着て、その世界や枠の中に自分を合わせて生きる、私たち人間。

もちろん、ある程度は望んでいることでもあるので、悪いことではないけれど、知らないうちにそれが自分だと思ってしまったり、

本当は、役割の中におさまりきらない自分がいることを、窮屈さや覇気が失われていく感じや、違和感、行き詰まり感、虚無感などが教えてくれる。

この感覚はきっと、「何かが違うよ、自分をもっと感じてみて」というサインなのだと思います。

そこから、私は多い時は毎週のように山へと向かいました。

関東近県ではおさまらず、長野や新潟、大阪や奈良、九州、海外でも山を登ったり、どんどん自然の中に行くようになりました。

白山の花

カウンセリングのパワフルさ

山や自然の中へ向かうのと時を同じくして、グループカウンセリングを受けていました。

10代後半で「心」に興味を持った私は、大学時代も心理学や心理療法、精神医学などを学んでいました。

けれど、臨床心理学に興味を持ちながらも、その方向には進みませんでした。

今から20年ほど前の当時は、臨床心理学分野は、主に医療の領域の方、ざっくり言うと診断名が出る方や薬が処方される方々を対象にすることが多かったのですが、私はもっと一般の人を対象にしたいと思っていたからです。

20代になってから、一般の人を対象にしたカウンセリングを見つけて、心の仕組みを学びながら、自分もカウンセリングを受ける、ということを続けていました。

日常や現実に活かせる、実践的な心の学びです。

カウンセリングは、心が病んだ人が受けるもの、ダメな人が行くところ、というイメージがあるかもしれませんが、大間違いだと思っています。

自分の心を見つめることは、自分を知ることであり、自分の心を耕すことができ、それは自分や人生を豊かにするものであり、人間としての成長を促すものです。

そして、その後、15年以上継続的に学び実践していますが、全ての共通点は「感じる」ことの大切さだと思っています。

自分が感じていることを微細に感じ、深め、その自分を安定して眺められること。

それらが全ての土台であり、その土台があればこそ、人との関係を良好にすることができ、自分を大切にしながら人生を歩んでいけるのだと思っています。

これらを、心についてや心の仕組みを学ぶことと、自分がカウンセリングを受けることで実感していきました。

日常も大切だけれど、日常を離れることも体験して欲しい

日常の中で、定期的にカウンセリングを受けることはとても大切だと思っています。

なぜなら、私たちは現実を生きていくことがとても大切だからです。

それと同時に、時折その日常から離れ、いつものパターンや、いつもの自分を俯瞰することも大切だと思います。

それを可能にしてくれるのが、自然の中に入ることであり、リトリートではないかなと思っています。

ともすると、回し車の中にいるハムスターのように、今いる自分の世界が、この世界の全てだと思ってしまうことがあります。

目まぐるしく日々を過ごし、自分のことを見つめる余裕もない、という状態だと、視野が狭くなってしまいがちです。

過去に着た役割や、過去の自分が決めたことが、本当は脱いだり変えたりできることも忘れ、埋没して、自分を見失ってしまうこともあるでしょう。

だから、日常を離れ、少しでも自分と出会って欲しい。

美しい自然の中で、一緒に今ここの「自分」「いのち」と出会いましょう

リトリートを一緒に主催する、みうら雪絵ちゃんとは、心の学びの場で出会いました。

自然をこよなく愛し、美しい地球への並々ならぬ思いのある、雪絵ちゃん。

雪絵ちゃんのブログからも、雪絵ちゃんの自然への愛を感じます。

私たち2人の共通点は、「自然」と「カウンセリング・セラピー」。

この両方に軸足を置き、自分と出会い、自分にふれあいながら、自己探求を重ね、自己成長をしてきました。

2人の共通点である「自然」×「カウンセリング・セラピー」のリトリートを開催しようと、2022年から活動を開始しました。

コンセプトは、「自分」「いのち」と出会うリトリート。

わたしたち「人」が自然の一部だと感じられる場所をセレクトし、「自分」と出会う、「いのち」と出会うリトリートを開催しています。

全ての「いのち」があるがままの自然の中で、「自分」や「いのち」と出会うこと。それは大切なものを思い出させてくれます。

人それぞれ、その時感じること、心に刻まれることは違うでしょう。

けれど、一人一人がその時に必要なことを感じるのだと思います。

リトリートは、訪れる地への巡礼でもある

現代世界を代表する思想家であるサティシュ・クマール氏は、真に持続可能で豊かな社会を創り出していくための国際的な教育機関「シューマッハー・スクール」をイギリス南西部に設立しました。

自然との向き合い方、お金の意味、幸せや仕事など人生のテーマについての、サティシュ氏と学生たちとのセッションが再現された、

辻信一氏による『英国シューマッハー校 サティシュ先生の最高の人生をつくる授業』の中で、サティシュ氏はこれからの時代の旅と観光について言及しています。

ある若者が、祖父母が古い旅館を経営する地域が有名になったことにより、たくさんの人が訪れて、コンクリートの建物が増えたり、ゴミが増えたことをきっかけに、

景観を壊すなど、自然や文化が大切にされない観光やツーリズムに対して嫌な印象を持つようになってしまったというのです。

その若者からの、自然や文化を大切にするツーリズムは無いのか?という問いへの、サティシュ氏の答えをここに引用します。

「では、君のおじいちゃん、おばあちゃんの旅館に、こんな看板を出したらどうだろうか。

『巡礼者歓迎、観光客お断り』

巡礼者と観光客はどう違うか。巡礼者は、自分が訪れた場所を尊敬し、祝福する。決して、その場所に対して破壊的な行為をすることはないんだ。訪れた場所に自分が合わせるということだね。

逆に観光客は、訪れた場所のほうが自分に合わせることを要求する。どこに行っても、普段の生活と同じような便利さを求め、自分勝手にふるまう」

そこでサティシュは、観光に代わる新しい文化、「巡礼の文化」を若い世代がつくっていくことを提案する。旅する場所に感謝し、その場所を尊敬し、祝福する文化だ。

『英国シューマッハー校 サティシュ先生の最高の人生をつくる授業』より

リトリートは、「自分」「いのち」と出会う場でもありながら、訪れる地への巡礼の要素もあるように思います。

美しく豊かな自然が守られているということは、それだけ不便さや金銭面での負担を許容することでもあります。

リトリートの内容

豊かな自然とふれあいながら、人とふれあい、「自分」や「いのち」と出会うリトリートです。

森林セラピーガイド・ネイチャーゲームリーダーの資格を持ちセラピスト・ヒーラーとして活動する雪絵ちゃんことみうら雪絵さんと、心理カウンセラー・ファシリテーターとして活動する私・えりちゃんこと渡辺絵梨とで、

森林セラピーやネイチャーゲームのエッセンスと、心と対話するワークを取り入れたワークショップ形式のリトリートです。

必要に応じて「感じる」ことのレクチャーや、カウンセリングセッションを取り入れることもあります。

*雪絵ちゃんのプロフィールは下記をご覧ください。

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プロフィール

*私のプロフィールは下記のページに記載しています。

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プロフィール

風が生まれるトークセッションのご案内

2024/4/15(月)20:00〜風が生まれるトークセッション第5回@オンラインを開催します。

◆第5回ゲストは、桐谷晃司さん。

◆こんな方に

  • 桐谷晃司さんの話が聞きたい方
  • 失敗しても、失敗しても、自分の好きな生き方をやりたい人
  • 素の自分を生きたい方
  • 本音で語り合いたい方
  • 人生の荒波に揉まれ中の方
  • 逞しく生きるヒントが欲しい方
  • いのちの声を聞きたい方
  • 自分を深く見つめたい方
  • 理由はないけれど、ピンと来た方
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この記事を書いた人

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わたなべ えり

カウンセラー/セラピスト/講師/ファシリテーター
カウンセリング・セラピー・コーチングなどを融合させ、人がいのちの喜びを生きることをサポートしています。
10代の頃から心に興味を持ち学ぶ。「自分のやりたいことが分からない」、「感情が分からない」、「人とのコミュニケーションがうまくできない」、自身も苦しんだこれらの悩みに光をもたらしてくれたのは、心の学びを通じて、自分の心を見つめることでした。
悩み苦しみは、転じていのちの喜びへと通じているのだと思います。そのプロセスの伴走をさせていただいています。
好きなことは、旅、読書、音楽を聞くこと、散歩。また、自然をこよなく愛する。