安定は幻想かもしれない:安定について考察してみた気づき

夕暮れの山と空

人は、性として大なり小なり安定を求める。

生き物として、自然なことであるし、脳の働きからもよく分かる点だ。

しかし、安定は何にとっての安定なのか?と、ふと疑問が湧いた。

安定は幻想かもしれない

感性にとっての安定は、一見不安定に見えるかもしれない。

けれど、同時にとても安定感を感じる。

感性は、好奇心、疼き、私たちを内から動かすものや、魂、或いはもっともっと根源的にいのちを動かすものと言い替えてもいい。

一方で、理性にとっての安定は、一見安定しているように見えるかもしれない。

けれど、同時に不安と停滞を感じる。

理性は、思考や、現実面、経済的なものと言い替えてもいい。

ビジネスセミナーや、啓発本の中では、安定は停滞だと言われることがある。

時に、そこには、怖れを駆り立てる雰囲気を感じるし、あまり良い印象を持っていなかった。

今回、私の内側から湧いてきた言葉が、この印象を変え、本質を見せてくれたように思う。

それは、安定は幻想かもしれない、という言葉だ。

この言葉は、私の気持ちをとてもニュートラルにしてくれた。

安定という言葉に染み付いたイメージは、理性からの観点によるものが大きい。

そのイメージは、感性の視点から見てみると幻想なのではないかと思ったのだ。

感性に従って生きる安定感

身の回りの、感性に従って生きる人々を思い浮かべると、ある意味で不安定に見える。

けれど、同時にとてもパワフルで、自由で、何とも言えない安定感を感じる。

言ってみれば、高速で離陸したジェット機が、機体を揺らしながら、でもとても静かな飛行へと入っていった時のような感じだ。

信じられないほどの圧力を受けて飛んでいるのだけれど、機内はとても静かで、そして安定飛行している。

きっと感性に従って生きる安定感とは、はたから見るとそういうものなのかもしれない。

感性が、すべてのものを絶妙に動かし、不安定な中に安定を生み出すのだろう。

バランスが崩れたら、またバランスを取ろうと、感性が働き続ける。

本来、生きるとはそういう状態なのかもしれない。

死んだら、肉体の信じられない働きの連携は終わり、全ては止まる。

働き続けること、動き続けることは、時にしんどさを感じることだが、生きることが本来そうなのであれば、

ごく自然なことであり、奥底でいのちは喜んでいるのではないかと思った。

一方で、理性、経済面、現実的な意味での安定は、もちろん必要だけれど、

追い求めすぎるとそれは停滞となり、いのちの錆びつきとなり、鈍化となる。

そういう人も、人生の折々で見かけることがある。

安定は得ているけれど、どこか覇気(はき)がなくて、諦めを感じる。

そして、漠然とした未来への不安、このままでいいのかという焦りもそこにはある。

不安と停滞と焦り。

安定しているのに、本当の意味での安定感に欠ける。

いのちの法則で見てみると自然なことなのに、一瞬矛盾しているように感じられて、すごく不思議だ。

何にとっての安定なのか?と問いかける

では、いま自分が得ようとしている安定とは、何にとっての安定なのか?

そして、それは本当に安定なのか?

そう問いかけてみると、面白いかもしれない。

問いかけから、見えてくるものがあるだろう。

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この記事を書いた人

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わたなべ えり

カウンセラー/セラピスト/講師/ファシリテーター
カウンセリング・セラピー・コーチングなどを融合させ、人がいのちの喜びを生きることをサポートしています。
10代の頃から心に興味を持ち学ぶ。「自分のやりたいことが分からない」、「感情が分からない」、「人とのコミュニケーションがうまくできない」、自身も苦しんだこれらの悩みに光をもたらしてくれたのは、心の学びを通じて、自分の心を見つめることでした。
悩み苦しみは、転じていのちの喜びへと通じているのだと思います。そのプロセスの伴走をさせていただいています。
好きなことは、旅、読書、音楽を聞くこと、散歩。また、自然をこよなく愛する。