1人で
竹富島で過ごした時間と、
竹富島リトリートで、
皆んなと過ごした時間は
全く別ものだった。
1人で過ごした
上高地と、
上高地リトリートで
皆んなで過ごした
時間も同じように別ものだった。
リトリートに
参加してくれた方が
言っていた。
わたしと雪絵ちゃんの
主催するリトリートには
「体験」がある、と。
交通も発達して
いろんな滞在の仕方が
できるようになった
今の時代、
どんな場所も
大抵は1人で行ける。
それは
旅行という形だったり、
1人過ごすためだったり、
あるいは
気分転換だったり
暇つぶしだったりすることも
あると思う。
訪れた場所で、
どれくらい
その土地の空気や
エネルギーを
ゆっくり味わって
その瞬間瞬間に居続けているだろうか。
どれくらい
自然の中に溶け込んで
空であり
海であり
木である
自分を感じているだろうか。
どれくらい
風であり
雲であり
星である
自分を感じているだろうか。
後の予定を考えたり、
夕飯は何だろう?と思ってみたり、
溜まってた仕事をしたり、
本を読んだり
物思いに耽ったり、
自分の頭の中に
どっぷり居たりしないだろうか。
もちろん、
それが間違ってる訳じゃない。
訪れた場所で
何を体験しているのか、
ということなんだと思う。
「体験」は
からだを通して
感じたことが
すべてなんだと思う。
ただ
その場所に居て、
からだの感覚を開いて
その土地、自然、自分を
感じ尽くす。
共に過ごす仲間と
分かち合い、
仲間の体験も
自分の一部になっていく。
その一つ一つが
内側にゆっくり
染み渡り、
やがて、
今自分に必要な気づきが
内側から起きてくる。
時を経て
振り返ってみた時に、
たとえ起きたことが
思い出せなくなったとしても
その時感じたこと、
体験したことは
からだが記憶している。
忘れられない体験になっている。