ゲシュタルトセラピーを受けての気づき:お花を通して祖父の愛を感じた

花と蝶々

お花を使ったゲシュタルトセラピー

2021年から、ゲシュタルト療法ベーシックコースに参加している。

1年間のプログラムだ。

毎月、ゲシュタルト療法の理論を学び、ワークをする。

ゲシュタルト療法では、セッションをワークと言い、

セッションを行う人をファシリテーター、

ワークを受ける人をクライアントと呼ぶ。

毎月、ファシリテーターが変わり、様々な人のワークを受けることができる。

 

1月は「お花とゲシュタルト」と題して、

お花を使ったワークを受ける機会があった。

毎回、参加者全員がワークを受けられるわけではなく、

希望する人の中から、抽選のような形でクライアントを選ぶ。

幸運にも、今回私はワークをしてもらえることになったのだ。

もちろん、お花を使わなくてもいい。

それはクライアントの選択だ。

このブログのドメイン名を「eri87」としているのは、花が好きだから。

花を「87」と数字にして、名前の後に置いたのだ。

そんな私にとって、お花を使ったワークで一体何が起こるのか、

自分の中のどんな自分と出会えるのか興味があり、

お花を使ったワークを希望した。

ペアで生けたお花

初日に、参加者のお一人とペアでお花を生けた。

この体験もとても印象的で、花一本一本と今ここで出会い、

言葉を交わすことなく、花を通して会話しながら、お花を生けていく。

自分では選ばない花を相手が選び、

その花が自分の想像を超えた場所に生けられる。

静かに進んでいくけれど、心の中では色んなことが起こる。

 

ゆっくりと時間をかけて、

目の前のオアシスに生けられた花を感じながら、

残り少なくなった花や緑の中から、

次に生けるものを選び、ここと思える場所に生けていく。

完成した作品は、最初の一本を生けた時には全く想像しなかったもの。

けれど、不思議としっくりきている。

出来上がった作品に対して感じることは人それぞれ。

私は、ペアの方が生けた一本が衝撃で、

私の世界が揺らいでいることを感じていた。

お花を使ったワーク

翌日、私がワークしてもらえる順番が回ってきた。

前日に、ペアで生けた私の花を使って、ワークをしてもらうことにした。

花を生けてから丸一日が経っているけれど、

前日に花を生けたその時、

生けた花を飾り、その花を見ている時、

そして時間が経ってからその花を見てみた時。

刻一刻と感じることが変わっていく。

 

ワークが始まった時に、ファシリテーターは「今、その花をどう感じますか?」とたずねた。

私の感じていることは、ほんの数分前と比べても、また変化していた。

ワークを始める前は、

机の上に置いてあった花を、床に座って見上げるように眺めていたけれど、

ワークを始めた時には、床に座る私のすぐ横に花を置いた。

目の前にある花を、床に座りながら、上から見下ろすようにして見ることになった。

見る角度が変わったら、また別のものに見えたのだ。

↓同じ目線で見たお花
横から眺めたお花

↓上から見下ろしたお花
上から眺めたお花

お花を眺めていたら、ふと祖父の顔が浮かんできた

しばらく眺めていたら、ふと祖父の顔が浮かんできた。

そのことをファシリテーターに伝え、祖父のことを話した。

祖父は園芸が好きで、

定年退職後、園芸の学校に通っていた。

その後、庭にたくさんの植木鉢を置いて、花を育てて愛でていた。

小さな庭だけど、

斜め上へとうねる様に枝を伸ばした立派な松の木もあって、

松の木の下には、サツキなどの低木もあったり、

山茶花、金木犀、オオムラサキツツジなども植わっていた。

木々と植木鉢の花々が、オーケストラのように一体となって、曲を奏でているような庭だった。

 

祖父は、学校の課題だったのか、趣味だったのか、

小さなスケッチブックに、

指の長さほどの細くて可愛らしい10色ペンを使いながら、

花の絵を描いて、そこにメモも添えていた。

そのスケッチブックを時折、私に見せてくれた。

祖父が豊かな時間を過ごしていることを

子ども心に感じ取っていたような気がする。

穏やかな空気をまといながら、

だからといって過剰に子どもに関わるわけでもない祖父の雰囲気を覚えている。

 

大正生まれの祖父は、

卒寿を迎えたのち、この世を去った。

晩年の数年は、庭の大きな木以外の、

小さな植木鉢たちにはそこまで気をかけていなかった気がする。

季節が巡るたびに、咲く花の種類が変わり、彩り豊かだったはずの庭が、

晩年は少し寂しい気配だったことを覚えている。

けれど、イキイキとした姿で私の記憶の中に残る還暦過ぎの祖父は、

庭の木々や花々を愛で、

家の掃除をし、祖母を気遣い、日々を過ごしていた。

記憶に残る映像も、とてもカラフル。

喜寿を迎えて間もなく旅立った祖母。

そこからの祖父は、

寂しそうな背中をしていたけれど、

周囲に迷惑をかけまいと一人淡々と暮らしていた。

どの祖父も祖父で、心に残っている。

普段あまり思い出すことのない記憶と思い出だけれど、

ワークの中で生けた花が、呼び起こしてくれた。

祖父を感じる

ファシリテーターの「おじいさんを置いてみませんか?」という提案を受け入れ、

祖父と対話してみることにした。

まさか祖父と対話することになるとは、

予想していなかったので驚いた。

 

祖父の座布団を置くことになったものの、

座布団の置き場所を、すぐには定められなかった。

祖父は一体どこにいるだろう。

ゆっくりと感じてみる。

祖父は、私の後ろにいる気がした。

座布団を私の後ろに置く。

そして、祖父の座布団に座り、祖父になってみた。

 

祖父を感じるのに時間がかかったけれど、

「充分に時間を取ってください」という、

ファシリテーターの言葉により、

私は焦らず、充分に時間をかけて、祖父を感じることにした。

ゆっくりと、祖父の生きた時間を心の中で追っていった。

ゆっくりと、ゆっくりと。

 

しばらく祖父を感じていたら、

祖父はどこか外にいるのでなく、

私の中にいることを感じた。

そして、

言葉は少なかったけれど、

祖父とゆっくりと心の中で対話をした。

私の中にいる祖父を、

私の中に祖父がいることを、とても感じた。

祖父との対話

ゆっくりと心の中で、

祖父を感じていたら、

私を見守り、応援してくれていたことをとても感じた。

 

口数も多くなく、過度に干渉することのない祖父だったけれど、

晩年、独身の私を気にかけて、

えりはいつ結婚するんだ?なんて言ってた。

ほんとだよね、って思ったし、

私が教えてほしい、って思った。笑

けれど、その心配は重いものではなくて、

祖父の愛だけが思い出される。

 

祖父の席に座った私の身体の中から、

「幸せになれよ」

「幸せになるんだぞ」

と、向かいの私に向かって言葉が出てきた。

祖父が気にかけてるのは、変わらずその点だった。

 

私もね、そういうお相手を求めているけれど、

めちゃ婚活してみたこともあったけど、

でもね、誰でもいいって訳じゃなかった。

婚活する少し前は、相手がいないことが、

何かが欠けているような、不完全なような感じがしていた。

けれど、ここ1〜2年で、ひどい精神状態を経験して、

その時に沢山の友人や仲間に助けられたことが、私の感覚を変えたように思う。

今の私、私を取り巻く環境、私と一緒に居てくれる友人や仲間、

そういったもの全てがありがたく、私は十分満ち足りていると感じた。

 

だから、祖父に「幸せになれよ」って言葉をもらって、

相手がいないことが、

何かが欠けているとか、不幸せとかじゃなくて、

今良き友人や仲間、そして家族に囲まれて私は幸せだなぁ、

って思えることも大切にしたいと思った。

この幸せをしっかり噛み締めた上で、

さらに人生を共にできる相手がいたらいいなって、思う。

 

だからね、おじいちゃん、

私は幸せだよ。

そして、もっと幸せになるよ。

見守っていてね。

そう思った。

私の席に座り、

「幸せだよ、そしてもっと幸せになるよ」

と、私は祖父に言った。

 

そして、今この言葉を書いていたら、

涙が溢れてきた。

最近分かるようになった。

愛って、時に激しくも苦しくもあるかもしれない。

けれど、本当はこんな風に、

空気のように見守り見守られるような、

静かで穏やかに相手を思うことなんだなって。

今更このことが分かるなんて、

自分は子どもだなぁ、なんて思うけれど、

それも私。

私と一生一緒にいるのは私。

自分の変化や気づきを大切にしたい。

 

孤独を怖れて動いても、いい結果にはならなくて、

それはきっと良い状態じゃないから。

そして、寂しさから誰かといるのも違う。

いつか虚しくなる。

寂しさが連れてくる虚しさよりも、

虚しさが連れてくる寂しさの方が苦しい気がしている。

だから、自分と出会って、

内から生まれる思いを大事にして、

大切にしたい存在を求め続けたいし、

そう思える人と一緒に居たい、という思いを大切にしたい。

ワークを終えて数日、花が語りかけてくる

ワークを終えて日が経ったけれど、

まだ味わっている、祖父の感覚を。

手元にある花を見つめて、

そこにあたたかい感覚を感じる。

鑑賞のために作ったのでもなく、

美しくて飾っておきたくなる花を選んだのでもなく、

ただ、その時に自分が生けた植物と、

ペアの人が生けてくれた植物と対話しながら、

次の花を選び、生けた。

ただ好きな花を選んでいただけでは創られることのなかった世界。

つくり終えた時は、なかなかいいバランスだな、でも寂しいな、って思っていた。

華やかな花があまり無かったし、カラフルでも無かったから。

でも、ワークを終えて眺めていると、

ワークで対話した祖父が好きだった庭に見えてくる。

上から眺めたお花

そこに確かにイキイキと存在する、祖父が愛でていた庭。

大きな葉っぱが嬉しそうに、瑞々しくそこに居る。

花たちが、祖父に代わって何かを語りかけてくる。

私にとっても大切な、私が祖父に重ねていた庭。

窓辺のビューローで、花の絵を描く祖父、窓から見える木々と花々。

長らく忘れていた、私の中に居た祖父の一つの姿。

枯れ葉や落ち葉に重なる晩年の祖父だけでなく、

季節毎に咲く花と、見事な枝をつけた松に重なる、老後を楽しんでいた祖父。

祖父は人生の様々な季節を私に見せてくれていた。

そして、いつも見守ってくれていたことも思い出した。

愛はずっとそこにあった

そして、もう一つ思い出したのは、最期の時が近づいた頃の祖父。

ベッドに横たわり、そばに寄り添う自分の娘。

私にとっては叔母にあたる、自分の娘の頭を撫でていた祖父。

私はその光景が羨ましかった。

自分には、父に頭を撫でてもらった記憶があまり無かったから。

優しい眼差しと、頭を撫でるその手で娘を愛でる祖父。

父と娘の優しい交流を感じていた。

この光景は、自分には起こり得ない気がしていた。

自分には無いものがそこにはあるような気がした。

同時にきっと私は望んでいた。

父に優しく頭を撫でてもらうことを。

 

そうしたらね、思いがけず起こった、そのことが。

私が昨年、悩んで苦しんでうつ状態だった時、

どうしようもなくなって、私は父の膝に頭を乗せたことがあった。

そんなことを自分がするなんて、生きているうちにそんなことが起こるなんて、考えられないことだったけれど、

ただそうしたかった。

そうしたら、父が、あの時の祖父と同じ、娘を慈しむ眼差しで私を見つめ、そして頭を撫でてくれた。

おじいちゃん、この人はあなたの息子だね。

私はすごく苦しかったけれど、すごく嬉しかった。

その時は嬉しさを味わう余裕すらなかったから、今またその嬉しさを味わっている。

そうしたら、涙が溢れてきた。

きっと、ずっとずっと幼い頃に私はこうして撫でてもらっていたんだと思う。

でも、そんなことは記憶になくて、

私にとっての父といえば、時代もあったと思うけれど、

躾の一環として叩いたりぶったり殴ったりする人で、

あるいは、私の望まないときに、望まないやり方でちょっかいを出すような形で触れてくる人だった。

それも愛なんだけど。

私が欲しかったのは、この優しい眼差しと、慈しむように頭を撫でてくれること。

愛する娘。

愛しい娘。

ずっとずっと、ただそのことを感じたかったんだと思う。

父とのことは、随分昔から数え切れないほどセッションやワークで取り扱っていて、

少しずつ自分の中で気づきが起きて今があるけれど、

身体の感覚と実感を伴う自分の望みが分かり、誤解が解けた瞬間だった。

愛する娘。

愛しい娘。

本当は父はずっとそう思ってくれていて、

私が感じ取れなかっただけだったことも、同時に気がついた。

 

愛って目に見えない。

静かで穏やかで、そこにあるのに気づけない空気のよう。

本当はずっとそこにあった。

花を通してメッセージをくれた祖父が、

このことに気づかせてくれた。

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この記事を書いた人

わたなべ えり

カウンセラー/セラピスト/講師/ファシリテーター
カウンセリング・セラピー・コーチングなどを融合させ、人がいのちの喜びを生きることをサポートしています。
10代の頃から心に興味を持ち学ぶ。「自分のやりたいことが分からない」、「感情が分からない」、「人とのコミュニケーションがうまくできない」、自身も苦しんだこれらの悩みに光をもたらしてくれたのは、心の学びを通じて、自分の心を見つめることでした。
悩み苦しみは、転じていのちの喜びへと通じているのだと思います。そのプロセスの伴走をさせていただいています。
好きなことは、旅、読書、音楽を聞くこと、散歩。また、自然をこよなく愛する。